バチスタシリーズ最終巻 ケルベロスの肖像
何年前か「チーム・バチスタの栄光」を読んで衝撃を受けてから、出張ででかけるたび文庫本になった海堂尊先生のバチスタシリーズを楽しみにしていました。
死後画像診断(Autopsy imaging)という言葉が日本で一般化したのは、この小説という手段を利用した先生の力だと感じています。
生と死は表裏一体。
生を輝かせるためには、死をしっかり見つめる必要がある。
懸命な医療にも関わらず残念な結果になってしまった方へ、施された(行った)医療が適切だったのか、その検証なしに、医療の進歩はないという考え方はその通りだと思います。
救命させるためには、救命できなかった理由を真摯に受け止める必要がある。
ただ、失ってしまった人が戻ってくる訳でもないのに、今後の医療の未来のために解剖という手段で体に傷をつけるのか、と言われると、解剖で得られる結果は何ヶ月も経ってからだったり、解剖したものの結局、死因不明ということになってしまったりで、納得のいく説明ができないことも多くあります。
警察による司法解剖があるではないかと思われるかもしれませんが、司法解剖の結果は54%が2〜4年、8%の症例では4年以上かかることが知られ、一番の問題として司法解剖の結果は捜査情報のため裁判のときにしか公開されないため医療の現場へ還元されることがほぼないということも知っておく必要があります。
そこでCT装置の進歩と普及に伴い、Aiという死後画像診断の考え方が出現、臨床の現場で利用されることも多くなってきました。そしてわかってきたこととして外表検査のみでの死因の判明率はたった8.4%、しかし外傷死については90%以上、非外傷死の30%が非破壊検査である死後CTで診断が可能とされています。
ただ、Aiを行うことが全て善なのかというと、また多くの問題を抱えていることが小説が出てくるたびに、日本の医療現場の進歩とともに明らかとなってきた感があります。
そして最終巻、最後のミステリーとしては、ん、んん?と言った感はありますが、一カ所の巨大なAiセンターを作る考え方から、Aiという考え方が今のように日本全国、地域地域で行われてきている現状からはもっとも最初の「死因を明らかにするために死後画像診断を」という目的が達しつつあるという考えはその通りかもしれません。
調べてみると「チーム・バチスタの栄光」が文庫本になったのが2007年11月、それからわずか6年で、Aiは一般化しました。
医療の現場は日進月歩、ついていくのが精一杯ですが、これからもアンテナを高くもって頑張っていかなくてはです。