大規模地震時医療活動訓練
ハートライフ病院のDMATという急性期医療チームが活動(訓練)した2015年度の総合防災訓練について、DMATの動きを投稿しようと思います。
まず、大規模地震が発生すると
(訓練メール 1)平成27年8月31日正午ごろ、東京湾北部を震源とする地震が発生。
管下のDMATについて待機を要請いたします。派遣の可否を広域災害・救急医療情報システム(EMIS)に入力・・・
とDMAT隊員には個人で登録しているメールに派遣への待機要請がかかります。
その後、
(訓練メール 2)
平成27年8月31日正午に東京湾北部で発生した地震について、茨城県、千葉県、埼玉県、東京都、神奈川県からDMAT派遣の要請がありました。
1.派遣要請都道府県:全国のDMATの派遣を要請いたします。
2.参集拠点:千歳基地、伊丹空港、福岡空港、守谷SA、佐野SA・・・
3.広域災害・救急医療情報システム(EMIS)へ入力するよう指導方お願いいたします。
被災県からの 派遣要請がかかることで、DMATは病院と調整し出動をします。
出動したDMATは、指定された参集拠点へ集まり、参集した登録を行います。
登録がすむと、EMISと呼ばれるシステムにそのことを入力し、
統括官から派遣先、内容などの指示を受けます。
今回は、成田空港内の参集拠点に集合。
その後、活動拠点本部のある千葉大学に移動するよう指示を受け千葉大学にできている活動拠点本部に到着しそのことを伝達。
千葉県内の電気、ガス、水道の状況や崩落し通行不可となった道路の状況
千葉大学が管轄している地域の被災している病院の情報の報告を受けます。
今回は、活動拠点本部には
診療部門とSCU(広域搬送拠点臨時医療施設)を併設の形になっていました。
被災した病院の情報が収集できていないことと、
診療ができなくなっている病院にいる重症患者さんを診療できる施設へ搬送する
体制を整えるということが災害初期の大事な仕事になります。
院内にDMATチームがいればこの「助けて!」の連絡方法を持っていますが、
全国には去年までの当院と同様にこの手段を持たない病院のほうがたくさんあるため、参集したDMATの仕事として精神科病院の被災状況と重症患者の状況を把握し、医療ニーズを報告をするために移動することになりました。
派遣された医療機関は、電気、ガス、水道すべて使用できず、薬品はすべて水没、病院も崩壊の危険がありすべての患者をだす必要(病院避難)がある状態
地震の被害で、赤タグ 三名、黄色タグ四名、緑が8名
二次トリアージで赤タグ四名、黄色三名へ
通常であれば、緑タグの歩ける軽症患者については帰宅して頂く形で終わるのですが、今回の派遣先は、精神科の単科病院。
自宅に帰れるレベルの入院患者さんはいない・・・
薬剤も被災した際に喪失しているため、不穏、せん妄患者をなんとかしてもらうために、DPATと言われる精神科救急チームの派遣を要請
精神科患者の搬送先、順序決定を依頼することになり非常に助かりました。
(・・模擬患者役の職員のみなさんのレベルの高いことには非常にびっくり、いったいこの不穏、不安定なみなさんをどうしたら良いのか・・と変な汗をだいぶかき、DPATのみなさんのありがたみを痛感させていただきました)
なんと今回派遣されてきたDPATに、同じ沖縄の琉球病院さんも入っていたのにはびっくりしました。
さて、
問題の赤タグ患者を、救命センターに搬送を、となりますが
かってに同じ救命センターに連れて行くわけには行かないので
災害対策本部の方へ衛星電話を用いて派遣先の病院の情報、傷病者の情報を伝達
転院(搬送先)を決定してもらう事になりますが、
頼りのEMISがダウン
業務調整員(ロジスティクス)のKんじさんには本部との連絡をなんども繰り返しとっていただきました。
参加を繰り返すことで徐々に、着実に成長できてきていることを実感できた訓練になりました。
この傾いた看板
3・11 の東日本大震災でおきた液状化で傾いてしまったそうです。
裏の庭の水道管も破裂し噴水のように水が吹き出していた
ということもお聞きしました。
災害への準備をしっかり進めていくことはこれからもっと大事になっていく
この経験を研修医の先生はもちろんですが、
他の病院に勤務する先生たちにも疑似体験していただきたいと考えています。
沖縄に戻ると、週末には沖縄県内での訓練も予定されています。
関東大震災が起きた9月1日は防災の日。
もう一度防災への意識を高めていく必要があるものと思われます。